「今」に戻ること

スピではよく、「今ここ」ということを言いますが、実は自分は「今」にしかいることができません。

実際に、過去とは記憶であり、未来とは想定です。

時間は直線的に、過去から未来に向かって流れているのではなく、常に「今」という感覚が持続しているわけです。

この感覚が、頭脳的な理解にとどまらず、実感として感じられるようになると、「常今(とこいま)」の入り口が開きます。

さて、しかし、「「今」にいる」とはどんなことなのでしょうか。

さっき、コンビニにパンを買いに行ったとします。

そして今、家にいるとします。

そのとき、自分は今、コンビニにいるとは普通は捉えません。

普通に、自分は今、家にいると捉えます。

しかし、さっきコンビニにいたときには、自分は今、コンビニにいると捉えていたはずです。

そのときに、両者の「今」に共通するものは何でしょう。

それがつまり、体だというわけです。

体が常に自分の「定位置」として機能していることにより、「今」という感覚が生じます。

このことを利用しているのが、マインドフルネスと呼ばれる瞑想法です。

つまり、マインドフルネスとは、体の感覚を手がかりにして「今」に戻る方法です。

ですから、たとえ宇宙空間に出たとしても、自分は自分の体の位置から世界や光景を見ている、という事実には変わりがありません。

物理的に今、自分がどこにいるのかは、実は、意識覚醒においては本質的な問題ではありません。

都会にいようが田舎にいようが、あるいは日本にいようが外国にいようが、自分がどこにいても、自分は常に、自分の体の位置から世界を体験している、ということには変わりがありません。

ただしこれは、あちこち出かけるのはよくないという意味ではありません。

幅広く行動するか、あるいは引きこもっているか、つまり、物理的な行動範囲の広さというのは、実のところ、意識覚醒においては本質的なことではなく、いい意味で「どうでもいい」ことだ、ということです。

(「どうでもいい」というのを「Any way is OK.」、つまり「どの方法でもいい」の意味で捉えています)

また、マインドフルネスの他には、自律訓練法などのリラクゼーション法や、あるいは、フォーカシングという技法もまた、「今」に戻るために比較的平易な方法です。

ただし、です。

実はここからが問題なのですが、「今」に戻ろうとすると、人は大抵、こうしたことを味わいます。

それは、ものすごい恐怖や罪悪感や不安や、あるいは怒りや悲しみや恨みや、特定の人や出来事などに対する攻撃的な気持ちを突然自覚したり、あるいは、いろいろなことがとてつもなく気がかりになったり、突然、自分が気が狂ったとしか感じられなくなったり、あるいはパニック的な恐怖に陥りそうになったり、あるいは、よく言われることは「雑念」が頭の中かに消えなかったり、といった現象が生じます。

これらは実は、何かよくないことが起きているのではありません。

とりわけ、雑念は、瞑想においても、出るとよくないもののように捉えられていますが、実は逆で、雑念は、あるならば出た方がいいのです。

こうした技法をせず、漠然と生きているときには、雑念がないのではなく、雑念として自覚される意識が潜在化しているわけです。

言ってみれば、絶えず外的な物事や、他の人に気をとられているのは、実のところ、こうした自分の潜在意識を自覚しないようにするため、という目的もあります。

ですから、「今」に戻ることをちょっとでも意識したら最後、たちまち、それまで目をそらせ続けていたいろいろな恐怖などが、一気にどっと押し寄せてきそうな感覚でどうにかなりそうになっているときには、こうしたことは無理にしない方がいいかもしれません。

ただしそれでも、強引にリセットしなければならない場合もあります。

例えば私は以前、30秒もじっとしていられないほどの焦燥感が慢性的になっていた頃がありましたが、そのときに、これはおかしいと思って、床に横になって、どんなことがあっても絶対に動かないと決心しました。

そうすると、とてつもないパニック感情や、あるいは、暴力的なまでに暴れたくなるエネルギーが、もうばんばん出てくるわけです。

どうにかして体を少しでも動かしたくて、文字通り「死にそう」な感覚にもなります。

ですが、そうしたエネルギーが放出されている間も、エネルギーと自分とを同一視するのをやめて、エネルギーが勝手に動くままに放置して、自分はただ体にフォーカスし続けて、絶対に体を動かさずにいたら、1,2分かもう少しじっとしていたと思いますが、ふと意識が一瞬遠のき、うとうとしたら、文字通り「憑き物が落ちたように」すっきりしていました。

これと同様のことを、ブランドン・ベイズという人も体験して、世界的に活動しています。

このように、自覚的に、「今」に戻ることを実践しないと、人はどうしても普段は、ほとんどの時間を「上の空」になって過ごしています。

この状態はとても不安定でアンバランスなため、遅かれ早かれ、どうしても「ぐれんとひっくり返る」体験が生じるのでしょう。

この「ぐれんとひっくり返る」体験を通過するまでは、絶えず努力しなければ維持できなかった心の平安に関しても、ぐれんとひっくり返ることにより、心の根底からの安定感が得られて、心は平安であるのがデフォになり、平安から外れたらたちまち気がつくようになります。

ただし、平安を妨げるものを心の中に抱えていれば、その分、心の平安は自覚できませんが、しかし、平安とか不安とかが繰り広げられているところの、そのもっとベースになっているところで、心の基本的な安定感が確固たるものになる、というわけです。

そうすると、変な言い方になりますが、「安心して不安になる」ことができるようになります。

「安心して怖がる」ことができるようになります。

ですから、不安とか恐怖とかがあるとかないとかの問題が、実質上は問題ではなくなります。

実は、心理学やセラピーなどの技法は、ここからようやく、本当の意味で役に立つものになります。

そのことに関しては、いずれ触れる予定です。

「今」に戻ることの大切さに関して、少しでも感じていただけたら幸いです。

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