宇宙戦艦ヤマトと意識進化と現状再認

「地上に降りた最後の聖霊」の追記です。

「君のひとみは10000ボルト」の歌はこれです。

ちなみに、歌詞の中の「ミストレル」とは、ぐぐってみたら、南東フランスの季節風だとのことでした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%AB

しかし、あらためてこの歌を聴きましたが、今聴くと、なんかスピな印象もありますね。

「君のひとみは10000ボルト」というのは、今の表現では、さしずめ、「目力がとても強い」ということなのかもですね。

このように表現してしまうと、ロマンが台無しですが(笑)。

ただ、歌の中では、すぐに去って行ったような印象がしましたが。

テレサ・テンとのデュエットだったのは初めて知りましたが、最後の部分が見事にハモっているのを聴いて、号泣レベルでした。

このようにして、ガミラス(「亡き父の亡霊」による際限のない判断、という攻撃性にとりつかれて病んだ男性性)とイスカンダル(男性性による無際限な判断という「心ない仕打ち」のために、慢性的にトラウマを受け続けて、瀕死の女性性)とのカルマが癒やされていくのかも知れません。

ま、ガミラスとイスカンダルの対関係とは、スピで言う「オリオン・サタン」の「二側面」だったのでしょうね。

いわゆるサタンには、破壊的な面と同時に、覚醒と救済をもたらす面とがあった、というのは、聖書のヨブ記にも書かれています。

あるいはあれは、奇跡講座で言うならば、自我と聖霊との関係に相当しているのかもしれません。

また、ガミラスとイスカンダルの状況は、当時においては、インナーマリッジによる個人内パートナーシップは、どうしてもあのように崩壊的になっていくという「なれの果て」の姿だったわけです。

ですがあれは実は、いわば地球の「対称形」であり、意識進化の「折り返し地点」として、大マゼラン星雲に仮想的に投影された連星系だったわけですが。

ですからあれは実は、自己の「核心」に到達したときに見えてくる光景だったわけです。

これこそが、心が生み出されてくるところにある構造だったわけですね。

つまり、ガミラスとイスカンダルは「実は分裂していた心の中の地球」の姿であり、そこから、この地球を救うべく、コスモクリーナーの「設計図」が、占星術では男性性であるところの火星に不時着したというわけです。

(ちなみに、火星とは実は女性性なのではないか、という解釈も、マイナーですが、あることはありますが、この辺りの解釈のブレは、おそらく、「鋏差」を考慮しないと十分に解明できませんが、外惑星系団が、太陽系ですでに嫌と言うほど繰り返されてきた事件、つまり、「「かつてマルデクが、際限のない判断という「鋏差過剰」のために、その衝撃波によって崩壊してしまった」という事件が、いくら、破壊されたマルデクを地球にかぶせて、再統合してマルデクを再配置して、精神の交差を何度繰り返しても生じてしまう」という、「全体から分離し、全体性が繰り込まれた極小無限ループ状態」によるトラウマ、つまり、「「精神の交差」に伴う「破壊的な結末」が再現され、鋏差過剰がさらに増幅されるのではないか」、という恐怖を保持したままであるために、未だに、内惑星系団に対しては「不干渉」を決め込んでいるために、進化プロセスがどうしても、一種の「立ち往生」状態になっています)

ですから、バシャールで以前、これから地球が「ポジティブな地球」と「ネガティブな地球」とに分かれていくという情報がありましたが、それが意味していたのは、もう書くまでもありませんね。

ですから、あのアニメの中の「放射能」とは、山本七平氏が「「空気」の研究」をしていますが、その「空気」のことだったのかもしれませんね。

実際にどうなのかはわかりませんから、これはあくまでも「個人の感想」ですが。

あと、途中にあったバラン星というのが、シリウス領域に到達して、イエスさんの言う「単独者」として生きはじめた人の様子を、当時の価値観で捉えたものだったのでしょう。

ですから、宇宙戦艦ヤマトとはまさしく日本人の「魂」であり、あのアニメは、実は、意識覚醒の「旅路」だったわけです。

ただし、当時は「意識進化」の機運がそれほど盛り上がっていなかったために、そうした側面に関しての描写のディテールには、あまり強度がありませんが。

例えば、遊星爆弾とは、「ハーベスト・ビーコン」、あるいはその兆しだったわけですが、あのアニメが制作された当時はそれが、むしろ問題を強くする方に作用していたこともうかがえます。

ということは、ハーベスト・ビーコンの他にも、癒やしと救済のための「信号」が太陽系内に届いているはずであり、そしてそれは、火星に「不時着」した「癒やしと浄化のための「装置」の設計図」という形をとっている、ということが予想され、それはまた、実はサタンに内包されている女神性の、もう一つの側面が、救済のための自己犠牲の精神によって「捨て身の行動」に出た、その最終的なところにおいてもたらされる、ということがうかがわれます(スターシャとサーシャは姉妹)。

ということはつまり、これが奇跡講座だったのかもしれません。

つまり、奇跡講座とは、コスモ・クリーナーの「設計図」であり、それを自分の中において「展開」させることで、自分の心の中に、「心のコスモ・クリーナー」が実装される、ということなのでしょう。

ただし、文章となっている奇跡講座には、受信上の問題のために、実はいくつかのノイズ、つまりバグが入ってしまっているため、「設計図に忠実に組み立ててもコスモ・クリーナーが充分に起動しない」という状況がずっと続いていたため、私は現在、個人的に、設計図から自分なりにノイズの除去をしつつ試行錯誤を繰り返して内的形成させて一通りの完成をみた後に、実際に「マイ・コスモ・クリーナー」を作動させてみた結果を元にして、奇跡講座の「デバッグ」の作業をしています。

これは、人間には、「人間である」こと自体に起因する一種の「難点」がどうしても存在してしまうことによるものであり、ヘレンさんに何か問題があったかなかったか、といったこととは「別次元」の話です。

まあ、早い話、「人間である」こと自体がそもそも、一種の「プログラムミス」によるものなので、つまり、「必然的なミスプログラミング」をさせるために、非常に深い無意識のレベルにおいて、言ってみれば「あらかじめ諸変数ないしは諸関数、もしくは論理形式の定義を改ざんしておく」とでもいうような、いろいろな操作が意図的にあらかじめ加えられてあったから、ということです。

しかしこのこと自体もまた、いわゆる「悪意ある攻撃」によるものではなく、このことによって、すべての問題を外在化させることが可能になりました。

そして、心理学において経験的に明らかになったように、問題とは、外在化させることではじめて観察可能になり、解決への糸口がつかめますから、つまり、意識の発生する原点において意図的に「ミスの発端」が仕込まれていたことによって、心の内容がすべて反転した形(裏返った形)で外在化され、そして、その結果を観察することにより、そもそも一体何が問題の本質だったのか、ということを明らかにする、という目的があったわけです。

ですから、つまり、人間とは、たった一人の人間、つまり神の子キリスト、が、諸反転を繰り返すことによって無数の写像として展開された状態、いわば「広義のマルチロケーション現象」を作り出している状態であり、神から託された思い、つまり全体救済という「神の計らい」(神の救済計画)に一人一人が与ることによって、はじめてその機能を十全に発揮するようにできている、ということです。

ですから、真の問題は実は霊界にあったのであり、この世界とは、霊界の問題を解決するための、「実験と検証の場」として仮設的に設置されていた、ということだったのでしょうね。

だからこそ、この世界には実は、はじめから問題の本質は存在しなかったことになりますが、ごく簡単に言うと、そもそもこの世界自体が、実は霊界の問題の射影空間的な反転写像だったということです。

なので、中毒、ないしは依存症からの回復の現場で、よく、「底尽き」と呼ばれる段階のことが知られていますが、そのように、この世界とはいわば一種の「底尽き」を起こすための場だった、ということなのでしょう。

なぜなら、依存症で苦しんだ人なら体験的に理解していることですが、人はどうしても、「底尽き」まで達しないと、神から離れ続けていく意識の向きを変えて神に「向き直る」こと、つまり交替化を引き起こすために本当に必要なこと、にはどうしても手がつけられない、という「宿命」のようなものがあり、だからこそ、「ここから先はもうないよ」と、否応なく実感せざるを得ない場が、どうしても必要だったわけです。

ま、どうやらそれでも人類は、いわば「分離中毒」を互いに増幅し合うことによって、本来の目的を忘れ去り、方向を転換しないままに強引に突き抜けようとしすぎたために、「想定外」の状況をいろいろと作り出してしまっていた、ということのようです。

そのために、日月神示や奇跡講座やOCOT情報などによって、プロセスを「再調整」する必要があった、ということのようです。

ま、やっぱり、計画の中でだけで展開させる、つまり「想定内」の状況だけだと、まさに「そう手えない」、つまり、「そんなに手がない」つまり、選択肢のバリエーションが少なすぎるという不満がどうしても残るために、つまらなく感じるものですから、やはりどうしても、必然的にこうなったということのようです。

まあ、ですから、その方向にはもう何も存在していないため、いくらその方向を極めようとしても本当にもう何もありませんから、実際にはそれは、どんどん突き進んでいっているようでありながら、実はプロセスがどんどんすぼまっていき、ただ同じ場所で延々と「くだを巻いている」だけの状態ですから、そのことをOCOT的には「スマル」と呼んだのでしょうね。

ま、ですから、従来の世界自体がいわば「スマルの中」だった、という言い方もできなくはありませんから、この、時空がすぼまっていくプロセスが一つの極限を迎えたのが、つまり、2012年12月21日でしたか、だったわけでした。

ですから、2013年以降は実は、実質的には、「すでに反転が成し遂げられた状況」が始まっていますが、言ってみれば一種の「慣性の法則」によって、従来の世界が未だに存続している「かのような」状況が続いていたわけです。

ただし、スマル状態がこの世界に再反映された「自我」という状態は、実は、「くだを巻いている」状態が反転して「とぐろを巻いている」状態になっていて、それが直線的に展開開始することが、つまり、クンダリーニ覚醒だったわけであり、なんと、実は自我こそが「覚醒の鍵」だったという、超絶技巧的逆説状況だったわけですね。

ま、このことを普通の言葉で言うと、つまり「奥義の中の奥義」ということになるのかもしれませんが。

だからこそ、自我というものを盲目的に、思考停止的に、頭ごなしに「悪いもの」と決めつけて、そこで心的プロセスが延々とフリーズしていた、というのも、実は、諸情報のバグの原因となっています。

しかしそのために、さらに問題の「純度」が上がっていったというのもまた事実であり、つまり、中途半端ではうやむやになってしまうため、やはり、どうしても純度を極限まで上げて、形態と内容とが完全並行関係になるまでに、二元論的な並行化が極まらないと、問題の本質のみを分離抽出することができなかったわけであり、だからこそ、ここまで達しないと、本当の意味では明らかにならなかったというのも、私は体験から分かりました。

とりあえず、こんなところですかね。

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